良寛さま ゆかり
秩父市下宮地
廣見寺 (良寛心の師・大而宗龍ゆかり)
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13
撮影:2012-06-25
廣見寺(良寛心の師・大而宗龍ゆかり)


総門(秩父市有形文化財)

三門(飛龍門)

本堂
総門の扁額「大林山」
江戸時代渡来僧 東皐心越禅師 書

本堂扁額
(元下郷笠鉾万燈 秩父市有形民俗文化財)
明治29年(1896)完成(秩父最大)
下郷三層笠鉾を 鉄道架線に伴い 二層に
縮めたときに生じた万燈を 額縁に収めた
覺皇殿」と刻されている


妙見堂(北辰妙見大菩薩霊場)

沿 革
廣見寺(こうけんじ)は 明徳2年(1391) 天光良産(てんこうりょうさん)禅師開創になる 秩父地方曹洞宗最古の寺であり 山号を大林山(だいりんざん)という

天光良産禅師は 岩手県奥州市の正法寺(しょうぼうじ)2世月泉良印(げっせんりょういん)禅師の高弟であり その縁により正法寺が本寺となっている

正法寺は 大本山総持寺2世峨山(がさん)禅師の1番弟子無底良韶(むていりょうしょう)が 貞和4年(1348)に開創した 東北の本山いわれる東北地方屈指の名刹である

廣見寺の2世東雄朔方(とうゆうさくほう) 3世端山守的(たんざんしゅてき)の時代に 秩父市を中心に横瀬町 旧荒川村に末寺を開き 戦国時代後期までに末寺は34ヶ寺となった

文禄2年(1593)6世天秀彭盛(てんしゅうほうせい)は 得法の弟子を持たないまま遷化したため 旧吉田町清泉寺の末寺となった

150年後の延享年間(1744~7)幕府の本末改めの折 裁判にて正法寺の末寺に戻った

明和7年(1770)18世大量英器(だいりょうえいき)は 新潟県観音庵主宗龍(そうりゅう)禅師に協力して 境内西側に石経蔵を創り 石経奉納の大事業を行った

大正2年(1912)不慮の火災で総門を除く全伽藍を消失し 復興事業を開始し 30世智浄大宏(ちじょうだいこう)は 本堂 書院 位牌堂を再建した

31世守徳大謙(しゅとくだいけんは) は 三門の再建を果し 平成11年(1999)本寺正法寺住職となった

現住職32世智徳廣文(ちとくこうぶん) の発願により 平成19年(2007)四国八十八ヶ所遍照苑完成

現住職は 大而宗龍禅師顕彰会代表に 同会発足時から就いている

場 所
埼玉県秩父市下宮地町25-29 (曹洞宗)大林山廣見寺境内

参 考
廣見寺サイトのトップページ

廣見寺サイトの宗龍禅師ページ
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