良寛さま ゆかり
玉島中央町・周辺1
真如院(旧名真如庵)
新設:2017-05-01
更新:2023-02-13

真如院(旧真如庵)への道
撮影:2014-05-17
西爽亭右並び角の道案内に従い右へ
写真1
左写真の角から少し進んだ道
写真2
左写真の右壁が切れた処に石柱
写真3
真如院(旧名真如庵)を訪ねるときは 旧矢出町の西爽亭(さいそうてい)を目指すとよい 写真1には 「←熊田藩老節死之跡」「→良寛遺跡 真如院(旧真如邸)」と記されている

写真3の中央に建つ石柱には 「不許葷酒入門内」と刻されており 旧真如庵時代のものと思われる

真如院の住所:倉敷市玉島3-10-3

 
真如院本堂と案内板「旧名真如庵」
撮影:2014-05-17
真如院本堂(境内脇の道から塀越し)

案内板「旧名真如庵」
旧真如庵は円通寺の末寺ではなく 国仙和尚が眠る長連寺の末寺で 曹洞宗であった
良寛が国仙和尚から印可の偈を受けたと同じ頃に 国仙和尚から印可の偈を受けた義提尼は 享和3年(1803)に42才で(実相山)真如庵の庵主となって 建物の大修理を行い 文政5年(1822)托鉢によって得た浄財で国仙和尚の供養追善の高さ8尺5寸(2.5m)と大きな宝篋印塔を建てた

義提尼は 徳望が厚かったいわれ 天保8年(1837)長尾の一草庵で示寂したが 葬儀は本寺長連寺仙宗和尚の導師で盛大に執り行われ 真如庵境内に葬られた
その後 安政7年(1860)真如庵は天台宗円乗院の末寺の真如院となったという


真如院境内地蔵堂前方に設置された「旧名真如庵」案内板には 次のとおり記されている

旧名真如庵

安永7年 国仙和尚は当時廃庵となっていた旧蹟に 真如庵を再興し 義提尼を住庵させた 良寛が円通寺へくる前年のことであった

良寛と義提尼は寛政3年(1791)の冬10月の頃あいついで国仙和尚から印可の偈を許された

文政5年の初冬 義提尼は托鉢で集めた浄財で 真如庵境内に 国仙宝篋印塔を建立した 天保8年6月9日 76才で示寂 真如庵に葬られた


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