良寛さま ゆかり
中山 宮地 良寛の古道
敦賀屋花立跡・墓跡
新設:2017-05-01
更新:2023-02-19
撮影:2011-05-17
敦賀屋花立跡・墓跡


「敦賀屋と花立」の案内板

「敦賀屋墓所」案内標識
倒れた竹が道を塞ぎ
墓跡を確認できなかった

案内板
(出雲崎町)
 敦賀屋と花立

敦賀屋は慶長19年(1614)越前国敦賀より移住してきた (良寛の父・以南の時代には敦賀屋は町年寄筆頭格になっていた)

文化7年(1810) 由之が家財取上げ 所払いの処分を受けた後 敦賀屋(鳥井氏)が出雲崎町名主となった

敦賀屋の全盛期文化11年(1814)に 名主を引退した鳥井尚寛は 中山村宮田に堂を建立して 堂守りを置き 近くの敦賀屋の墓へ花を供えさせたので ここ宮田地内を花立と呼ぶようになったと伝えられている

鳥井尚寛が 良寛をここへ招いたとき 良寛は返書に「只今は行けない」旨の書簡を書いている

尚 敦賀屋の屋敷跡は現在「芭蕉園」になっている

出雲崎町  


場 所
新潟県三島郡出雲崎町中山(良寛の古道)

参 考
「定本良寛全集」3-書簡-171
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