良寛さま ゆかり
国上1519 乙子神社境内
良寛詩歌碑(漢詩 旋頭歌)
新設:2017-05-01
更新:2023-03-01
撮影:2011-05-18
良寛詩歌碑 (漢詩 旋頭歌)


良寛詩歌碑

良寛詩歌碑と周辺
碑の右は 観光道路から急な階段

案内板「良寛詩・歌碑」

案内板
良寛詩・歌碑

この良寛詩歌碑は 小川霞山(岩室 船越村) 阿部定緝(渡部村) ら有志の発起により 安政5年(1858) 乙子草庵の在ったこの地に建碑されたもので 石工は名工だった 寺泊の如来祐好(上田町 姓は藤田 屋号は如来)である
碑文及び読み下し文は次のとおり

(碑文)
生涯懶立身 騰々任天真 嚢中三升米
炉辺一束薪 誰問迷悟跡 何知名利塵
夜雨草庵裏 雙脚等間伸
       沙門良寛書
 安散都久非無閑比能遠可耳
 左遠志可當天里閑美奈川幾之久礼能
 安女爾奴礼都々當天里
 
(読み下し文)
生涯 身を立つるに懶く
騰々として 天眞に任す
嚢中 三升の米
炉辺 一束の薪
誰か問わん 迷悟の跡
何ぞ知らん 名利の塵
夜雨 草庵の裡
雙脚 等間に伸ぶ
      沙門 良寛書
朝づく日 向かひの岡に 小牡鹿立てり
神無月 時雨の雨に 濡れつつ立てり

          教育委員会

場 所
新潟県燕市国上1519 乙子神社境内

建 碑
安政5年(1858)6月

建碑者
石川霞山が碑建立趣意書を書き 奔走して建立したという

参 考
「定本良寛全集」
<詩>*1-027 *1-195 以上 第7句「裏」と「裡」の違い
   *1-352 第1句違い 第7句1字「裡」違い 1-467
<歌>
「いしぶみ良寛」正-20-080_085

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