良寛さま ゆかり
寺泊野積 立岩前
良寛歌碑「こしのうみのづみのうらの」
新設:2017-05-01
更新:2023-03-19
撮影:2011-06-29
良寛歌碑「こしのうみのづみのうらの」


良寛歌碑「こしのうみ」碑面拡大

良寛歌碑「こしのうみ」

良寛歌碑「こしのうみ」は
立岩やや右下にある
夏草に覆われて隠れていたので
草をむしり取って歌碑が見えるようにした

碑 面
己之能宇美 能處見
能宇良能 乃利遠衣八
和計轉堂萬王礼 以
萬奈良春東毛
 十一月四日  良寛

読 み
こしのうみ のぞみのうらの のりをえば
 わけてたまはれ いまならずとも
 十一月四日      良寛

越の海 野積の浦の 海苔を得ば
 分けて賜はれ いまならずとも
 十一月四日      良寛

補 足
良寛は 寺泊海岸に住む妹「むら」から 好物の海苔をしばしば贈られていた
妹「むら」が病に伏したときに はやく良くなって 野積の海苔を贈って欲しいと 励ますために歌を詠み 書簡として送ったのではといわれている
「野積」は 古くは「のぞうみ」とよばれ 「のぞみ」になったという

場 所
新潟県長岡市寺泊野積 立岩(巌)/太子岩前
国道402号(越後七浦シーサイドライン)沿い

筆 者
良寛

建 碑
昭和49年(1974)11月4日

建碑者
寺泊良寛会

参 考
「定本良寛全集」2-0362(3首連記作品の内他2首)*2-0361 *2-0363
「いしぶみ良寛」正-21-P086_089
新潟県のサイト「良寛たずね道八十八ヶ所巡り」

案内板
中部北陸自然歩道 立岩(たていわ)(…沖へ延びる海岸線)

野積海水浴場のシンボルとして ドライバーの格好の目印になっている「立岩」は その昔 海の中にあったものが 信濃川の堆積作用によって 陸上のものとなったと伝えられる「枕状溶岩」です

大正12年(1922)に 大河津分水路に初めて通水がされるまでは 野積集落付近の海岸線は 立岩あたりにあり 当時の野積集落では漁業や製塩が盛んに行われていました 沖合で漁をする人々にとって立岩は 舟を操る際の目印にもなっていました

大河津分水路の完成にともない 河口より流出する土砂により 海岸線は年々沖合に向かって進行し 多い所では約700~800mも伸びています

砂地を利用した開田事業などが進められていますが 冬期の季節風による飛砂害も深刻な問題で クロマツを植栽した防災林が整備されています

環境省 新潟県   

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