良寛さま ゆかり
島崎 隆泉寺境内
大蔵経・経蔵・大蔵経碑
新設:2017-05-01
更新:2023-03-19
撮影:2011-05-20
一切経(大蔵経)・経蔵  一切経寄進之碑(大蔵経碑)


中央に経蔵
左手前に一切経寄進之碑(大蔵経碑)
経蔵と大蔵経碑に間に案内板

一切経寄進之碑(大蔵経碑)案内板

碑 面
我兄終焉夕 密召我慇懃属曰 我有夙願欲建立一大蔵経 奈何家貧而不能遂 所憾者唯是耳 願爾継我志成之 言了奄然逝矣 自爾以来戦々兢々如臨深淵 如踏薄氷 今茲文政十一戊子年夏四月 得果所願 実如脱重担 然而毎思疇昔事悲喜交集 涕涙殆至霑襟 主人以其事語余 旦求記之 因援禿筆以述之爾
願主能登屋元右衛門
沙門良寛謹書    

碑 陰
表面我兄トハ木村家祖先ヨリ拾代目元右衛門之事 若年ニテ死ス 其実弟幼名利蔵 戸主名元右衛門十一代ヲ相続ス 兄ノ遺言ヲ履行セリ 良禅師ハ主人以其事語余トハ十一代元右衛門是也
 明治三十九年十一月 日
木村君雅嘱    
張博     

案内板
一切経寄進之碑

この経蔵に収められてゐる一切経は 木村家10代利蔵 11代周蔵の2人によって寄進されたものである 利蔵は 経生の祈願として一切経の寄進を思ひ立ち 努力を重ねたが 遂に命ある中に その願を果すことが出来ず永眠した

彼は その切なる願ひを 次の周蔵に託して没した 周蔵は勤倹よくつとめ その願ひを果した 良寛さまは 2人の努力を償し その所以を書いて下さったものである この書蔵は 戊辰戦争の焼けのこりである

訓読

我が兄 終焉の夕べ 密かに我を召し
慇懃に属して曰く 我に夙願あり 一大蔵経を建立せんと欲す
奈何せん家貧にして遂ぐること能わず 憾む所のものは唯是れのみ
願わくは 尓我志を継ぎて之を成せと言ひ了りて 奄然として逝きたり
尓より以来 戦々兢々深淵に臨むが如く 薄氷を踏むが如し
今茲に 文政11年戊子の年夏4月 所願を果すを得たり
実に 重担を脱するが如し 然り而して疇昔の事を思ふ毎に
悲喜交々集り 涕涙 殆んど襟を霑すに至ると
主人 其の事を以て 余に語り 旦之を記せんことを求む
因て 禿筆を援って以之述としかいう
 願主 能登屋元右エ門
沙門良寛謹書    

補 足
日本語大辞典(講談社刊)によると
だいぞう‐きょう【大蔵経】とは
仏教の経典や論書の総称 経・律・論の三蔵を中心とする パーリ語・漢語・チベット語などの典籍が現存 一切経 蔵経 三蔵

寄進したものは 一切経並蔵 全部六千七百七十一巻 二百七十五帙

場 所
新潟県長岡市島崎4709 (浄土真宗本願寺派) 隆泉寺

撰 文
良寛

筆 者
良寛

建 立
蔵 文政11年(1828)
碑 明治40年(1907)1月

建立者
蔵 木村元右衛門(第10代・第11代)
碑 木村周作

参 考
「いしぶみ良寛」正-42-154_157
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