良寛さま ゆかり
本町3-14-6 押出神社
良寛ゆかりの柘榴の木
新設:2017-05-01
更新:2023-03-25
撮影:2017-04-10
良寛ゆかりの柘榴の木


良寛ゆかりの「柘榴の木」
柘榴の木は 落葉樹で 芽吹く前の姿

押出神社入口
柘榴の木は 鳥居を入って
本殿左手奥 忠魂碑左前にある

押出神社本殿

案内板
 良寛(ゆかり)柘榴(ざくろ)の木

桂家は能登国飯田の社職の出で寛文2年(1662)越後へ移住し新津に居を定めました
明和3年(1766)3代(かつら)(たか)(はる)は新発田藩御用(たし)の功により新津組の大庄屋に任命され明治の御代まで代々その職を継ぎました
桂家は江戸時代中頃より起こった復古思想である國学に熱心であり 4代(かつら)(たか)(あき)は邸内に多数の和漢の書を収めた文庫「万巻楼」を設けました
桂家の名は地域の大庄屋の域をこえ江戸や京都の國学者 文人にも広く知られました
6代(たか)(まさ)もまた(かめ)()鵬斎(ほうさい) (すず)()重胤(あつたね) 山本(やまもと)(ゆう)()など多くの人達と交流がありました
山本由之は良寬の弟で 天保元年(1830)に1ヶ月ほど桂家に滞在し この間に誉正の妻とき子と和歌の贈答をしています
同年9月9日に誉正とき子夫妻は由之に雛鶴の絵入りの盆2個 島崎の木村家に身を寄せていた良寬には(ざく)()を7個贈りました
病気を患っていた良寬に柘榴が届いたのは10月13日で柘榴はすでに腐っていましたが 良寬は誉正とき子夫妻の温情に感謝し 桂家に3首の返礼歌を詠んでいます
 そのうちの1首の和歌がこの歌です

  くれなゐの ななのたからを もろてもて
         おしいただきぬ ひとのたまもの

旧桂家邸庭園「桂樹園」にあった柘榴の木は11代(たか)(なり)氏が新津本町4に移り住む際に庭石や灯篭と供に良寬縁の木として移植し その後 原隆夫氏によって大切に守り継がれてきました
この由緒を後世に伝えるために平成28年4月 原洋子氏により堀出神社に奉納され境内に移植されました
         平成28年4月吉日      堀出神社

場 所
新潟市秋葉区本町3-14-6 堀出神社境内

参 考
全国良寛会会報「良寬だより」第155号(平成29年1月1日号)
P16 山口啓介著「守り継がれる柘榴の木 ― 良寬と柘榴の縁 ―」

「ふるまち良寛てまり庵通信」第21号(平成29年1月発行)
P2「”良寛ゆかりの柘榴”が健やかに育っています」

齋藤久夫家庭上
 良寛歌碑「くれなゐの」 萬巻楼(新・旧 建物) 萬巻楼(額・聯)

秋葉公園の日本庭園内
 良寛歌碑「くれなゐの」
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